勇気の二部作、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』とは
ご存知の方も多いのではないでしょうか?
アドラー心理学を日本に広めることとなった名著『嫌われる勇気』、
そしてその続編が『幸せになる勇気』です。
これらを合わせて、勇気の二部作と呼びます。
参考程度にリンクを貼っておきますね。
『嫌われる勇気』は、いまや200万部を超える大ベストセラー。
そして、続編の『幸せになる勇気』も200万部超えしています。
つまり、1作目を読んだ人がほぼ2作目も読んでいるということが想像できます。
続編が同じくらいの部数売れている。
ここからわかるのは、前作の『嫌われる勇気』がいかに衝撃的な内容だったかということでしょう。
『嫌われる勇気』という題名から、単純に「どんどん嫌われなさい」ってことだと考えてしまうかもしれませんが、そうではありません。
嫌われたとしても気にしない、そんな強い心を持ちましょうという本なのです。
そして続編の『幸せになる勇気』では、幸せになるためにはこんな勇気が必要であるとより実践的に書かれています。
この2冊が一貫して伝えるテーマはひとつ。
世界がどう見えるかはあなた自身の勇気次第だということです。
つまり、「自分自身の心持ちで世界は変えられる」ということなのです。
だから『嫌われる勇気』の決め台詞は、
「あなたは今、この瞬間から、幸せになれる」
なわけなんですね。
今回は『幸せになる勇気』の中で語られる「尊敬」についてが本題です。
「尊敬なんて特別に学ぶようなものでもないでしょう」と思ってる方ほど知っていただきたい概念です。
騙されたと思ってこのまま、読み進めてみてください。
もくじ
「尊敬」は、どんな相手にもできる
あなたにとって、
「心から尊敬できる相手」とは
いったいどんな人でしょう?
もし、尊敬できる相手と言われて誰も思いつかないような場合は、きっと「尊敬」の意味がわかっていません。
なぜなら、尊敬は
「どんな相手にでもできること」
だからです。
その対象が社会的に大きな力を持っているだとか、教育者であるだとか、そんなことは一切関係がありません。
たとえ、相手が意地悪な老人だろうと、横柄な態度の婦人であろうと、わがままに思える子どもであろうと尊敬することはできると考えます。
「え!?何言ってんの!?」
って思いますよね。
世間一般的にボクらが思う「尊敬」とは、自分もそうありたいと願うような、あこがれともよく似た感情だと思います。
それはとても、「どんな相手にもできること」ではないし、尊敬できる相手なんて中々いなくて当たり前だとすら思えます。
だけど、違うんです。
そうではないから、「どんな相手でも尊敬できる」とアドラーはいうのです。
上記のようなあこがれのような意味での尊敬は、決して尊敬ではありません。
以下は「幸せになる勇気」の中で書かれている一文です。
それは尊敬ではなく、恐怖であり、従属であり、信仰です。
相手のことをなにも見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけの姿です。
これを読むと、確かに会社の社長や上司、学校の教師や部活動の指導者、政治家などに抱く感情というのはどうも尊敬ではなさそうです。
それでは、尊敬とはいったいなんなのでしょうか?
どうすれば尊敬することができるのでしょうか?
エーリッヒ・フロムの考えた「尊敬」とは
「幸せになる勇気」の中で、社会心理学者であったエーリッヒ・フロムの言葉が紹介されています。
尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
さらに、付け加えてこうとも書かれます。
尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。
わかりやすく説明します。
まず最初に、尊敬とは「〇〇だから、素晴らしい」などというような条件つきではない「ありのままのその人」を認めるということです。
あの人のあんなところが良いとか、あの人はこんなことができるからすごいとか、そんな部分は必要ないということですね。
尊敬を英語でrespectと書きますが、その語源となっているラテン語のrespicioには「見る」という意味があります。
まずは、ありのままのその人を「見る」こと。
つまり、「観察」が大切なんです。
それが尊敬の出発点です。
そして、その人の言動、行動、特性、趣味趣向などがわかったら次に注意することがあります。
決して、自分の価値観を押し付けようとしたり、その人の考えを矯正しようとしてはいけません。
なぜなら、そのような態度にはいっさいの尊敬がないからです。
その人が「その人であること」に価値を置き、援助していく。
これが尊敬ですから、その人を変えようとしたり矯正しようとしたりすることは「その人であること」を否定していることにほかならないわけです。
ありのままを認めることで、唯一無二であると知る。
それが「尊敬」ということになります。
「尊敬」が人を勇気づける
尊敬にはさらに、素晴らしい効果があると本書の中で語られています。
それは尊敬が、
「人を勇気付ける」
という点です。
誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。
なぜ、尊敬が勇気とつながるのでしょうか?
ボクなりに考えてみたことをここに書いてみたいと思います。
自分の意見を大切にできるかも?
「ありのまま」でいいと認められた人は、「ありのまま」の自分の考えを大事に思えるのではないでしょうか?
自分の意見を大切にされた経験があると、当然、他人の意見も大切にするべきだと思える気もします。
結果的に、その人は自分の意見を勇気を持って表明することができますし、勇気を持って他人の否定的な意見も聞き入れることができる。
勇気がない人には、両方とも出来ない。
そう思うのですが、いかがでしょうか?
失敗を恐れにくくなるかも?
さらに、失敗を恐れにくくなるのではないかとも考えました。
「ありのまま」でいいと認めてくれる相手がいる。
いつも味方してくれる人がいる。
だから、チャレンジしたことが成功しようと失敗しようときっとその人からの評価は変わることはないだろう。
そう思えた人は、どんなに難しく思えることでも「とりあえずやってみよう!」と楽観的に挑戦できる気がしました。
常に味方がいるという心理的な安心感が、挑戦する勇気を与えてくれるのかもしれません。
尊敬は伝染し、勇気もまた、伝染する
以上の話をまとめると、「尊敬」とは相手をありのまま認めることで相手に勇気を与える行為となります。
そうです。
ボクらが世間一般的に考える尊敬とは、まったく別のものなのです。
そして今こそ、尊敬するという意味を再確認するべき時代ではないでしょうか?
誰もが尊敬しあえる空気を作り、各々が勇気を取り戻し、自信を持って自分の意見や考えを表明できるようになる。
そうすれば、今の日本のなんとなく息苦しいような閉塞感を打破できるかもしれない。
そう思うわけです。
最後に、アドラーの残した言葉を引用して今回の記事を閉めさせていただくことにします。
読了いただき、ありがとうございました。
ねこじたのヒロでした。
臆病は伝染する。
そして勇気も伝染する。