本日の備忘録

【日々の学びが賢者を作る】#005 マインドフルネス

瞑想する女性

もくじ

マインドフルネスとは

マインドフルネスとは、ひとことで言うと

「思考を客観視して、距離をとる技術」

です。

科学的にも有効であることが認められ、グーグルやインテルなどの大企業や心理療法など様々な分野で重要視されるようになりました。

僕らはときとして、怒りや悲しみ、不安や恐怖などのネガティブな感情にとらわれることがあります。

ふとした瞬間に「自分がネガティブ感情やネガティブ思考にとらわれていること」に気づいて、「ハッ!?とする」

そんなことがあると思います。

この「ハッ!?とする」瞬間がマインドフルネスのきっかけになります。

マインドフルネスは

頑張ってポジティブに考えることではありません。

頑張って前向きに行動することとも違います。

マインドフルネスの結果、「今、ここ」で必要のないネガティブ思考やネガティブ感情を手放すことができます。

「今、ここ」で必要なことに気付き、行動できるようになるわけです。

マインドフルネスの起源

マインドフルネスの起源は仏教にあります。

仏教はお釈迦さまがはじまりです。お釈迦さまはブッダとも呼ばれます。

遠いむかしのお話になります。

王の子どもとして生まれたシッダルタは物質的な面での不自由もなければ、労働の苦労もない生活を送っていました。

しかし、そんな彼にも悩みがあったのです。

老いと病、そして死への不安

です。

シッダルタはこう考えていました。

老・病・死、これが解決されなければ、何のために生まれてきたのかわからない。
死ぬために生きているようなものだと。

それは、愛する人たちとも別れなければならないことを意味します。

お金も財産も、地位や名誉も、目の前にあるときは意味に満ちあふれているように見えます。
しかし、やがて老いと病と死によって、必ず崩れ去ってしまいます。

いくら大きな権力を持っても、ありあまる財宝を手に入れてもその不安を打ち消すことはできませんでした。

一時の快楽に身を委ねてみてもその一切は続くことはなく、その不安はむしろ大きくなるばかりだったのです。

そこで、シッダルタは考えました。

「快楽では消せないなら、すべての苦痛に耐えられるようになるしかない」

家を出て、彼は苦行を積むことにしました。

滝にうたれ、木にうたれ、石にうたれ、身体を苦痛にさらして、ときに食事さえ断ちました。

心と身体をこれでもかと鍛えて、結果、彼はほとんどの苦痛に耐えうる心身を手に入れました。

しかし、それでも彼の心が晴れることはなかったのです。

我慢をすることは、心の不安にふたをしていただけにすぎないのですから。

「不安や苦痛に耐えられるようになっても、幸せを感じることができないなら、一体どうすればいいのか?」

「そもそも、この不安や苦痛はいったいどこから来ているのだろうか?それを突き止めなければ」

彼は目をつぶり、外界の刺激を断ち、心の動きを観察してみることにしたわけです。思考と感情を観察して、苦しみの原因を探ろうとしたのです。

やがて集中が途切れ、思考が生まれてきました。

「こんなこと、いったい何になるんだ?」

「そもそも消し去るなんて、無理なんじゃないのか?」

「いろいろやっても消せなかったんだ。もう、これしかない!」

とあらがっても、いくつもの迷いがシッダルタを苦しめました。

 

ついに35歳の12月8日未明、彼は「ハッ!?」と気づきます。

思考を観察するつもりが、いつの間にか思考に巻き込まれていたことに。

「思考と一体になっていては、思考を観察することはできない!」

シッダルタは自分の思考から距離をとり、思考を客観視してみました。

すると、不安や苦痛などの感情はスッーっと消えていったのです。

 

「苦しみは実在するものではない。

苦しみは自分の思考が創り出しているだけだったのだ」

このとき、シッダルタは悟り、お釈迦さま、つまりブッダとなったそうです。

 

これがマインドフルネスの起源です。

ブッダがその後、後進の育成にとった手法が「禅」となり中国を介して日本にも伝わりました。

そして、東南アジアではヴィパッサナー瞑想として、アメリカではマインドフルネス瞑想として広まったといわれています。

 

本日の学びは以上でーす。

明日に続きま~す!!

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