もくじ
物欲がもたらす無限ループ
なぜ僕らは新しい製品が出ると特別必要でもないのに欲しくなったりするのでしょう。
現代はモノで満たされています。ほとんどの家庭にはテレビがあり、冷蔵庫があり、お風呂があり、エアコンもあります。
モノを使うことを覚えたころの人間にとって、成功するために必要だったのは「より良いものを、よりたくさん持っている」ことでした。
単純に、より高性能な武器が手に入れば、さらに多くの食べ物を得られる可能性が高かったし、食料を多く蓄えることができていれば、食糧難に陥ったときも生き延びれたわけです。
子どもも多ければ多いほど生き残って成人したでしょうし、より良い素材の衣類や屈強な住居は天候や野生動物の危険から守ってくれました。
つまり、現代に生きるぼくらの心が、
「より良いものを、よりたくさん」
と、求めるのも不思議なことではないのです。
もっとお金がほしい、もっといい車に乗りたい、もっと高い地位がほしい、もっともっと・・・。
しかし、なんとか頑張って「より良いもの」を手に入れたとしても、僕らの心が満足するのは一時(ひととき)だけです。遅かれ早かれ、次の「より良いもの、よりたくさん」を求めだします。
永久にその欲望から抜け出せなくなってしまう。
これが2つ目の幸福になれない理由。
物欲の無限ループです。
「みんなといっしょ」が生む不幸
3つ目の幸福になれない理由。
それが「集団に所属したい欲求」です。
狩猟採集の時代、自分の所属する集団から追い出されることはすなわち『死』を意味することでした。
所属している部族や村からはじき出されれば、きっと野生動物に食われてしまうまでそんなに時間はかからなかったと想像がつきます。
集団から拒否されないために、僕らの心は語りかけてきます。
「お前はその集団の役に立っているのか?」
「嫌われる行動や発言をしていないか?」
「自分の価値を示せているか?」
「お前は結局、
みんなに愛されているか?」
これは、命の危険が少なくなった現代においても変わっていません。
拒否されることを避けるよう避けるよう、僕らは自分を他者と比較し続けて、「好かれているかどうか」ということに自分の人生を捧げてしまいます。
部族や少人数の集団として生活していた頃はまだ良かったかもしれません。
しかし、現代はマスメディアが発達しました。
テレビや雑誌を見れば、自分よりも遥かに優れているとしか思えない人々で溢れています。想像もつかないほどのお金持ちや、現実には見たこともないような美しい女優、信じられない演技をするスポーツ選手、生まれつきとしか思えないほど賢い学者などです。
こうしたメディアが創り上げた人々と比較したとき、僕らは自分に強烈な劣等感を感じ、ときには失望してしまうわけです。
勝てるわけなどありません。
だって、メディアを通して見ているその人々は、優れた部分だけにフォーカスされた創造物なのですから。
無限ループからの脱出
以上のように進化する過程で、僕らは生まれつき、起こったものごとをすべて評価、批判するようになってしまいました。
そしてただひたすらに、「より良いもの、よりたくさん」と満たされることのない物欲を抱き、他者と比較し、そのコンプレックスにばかり目を向けてしまいます。
結果、本来あるであろう幸福に気づくことすらなくなっちゃいました。
現代が幸福になりにくいのも、当然ではないかと僕は思うわけです。
なにも自分で考えないならば、この無限ループから抜け出せません。
価値観という「コンパス」を持って、不幸の無限ループを脱出しましょう。
今日の学びは以上でーす。
明日に続きま~す!!