どーも!
昨日は夜ふかししてしまい、ちょっとだけ反省しているねこじたのヒロです。
睡眠時間は大切にしたいものです。
はい!というわけで本日は、
『目標は、「立てるもの」ではなく「立つもの」である』
ということについてお話ししたいと思います。
今日の参考文献はこちらです。
嫌なこと、全部やめても生きられる 著者:プロ奢ラレヤー
もくじ
プロ奢ラレヤーとはなんぞ?
プロ奢ラレヤーとは、読んで字のごとく「人にご飯を奢ってもらって生計を立てている人」です。
奢ってもらって生活しているなんて、まるで夢のような生活ですね。
奢られることのめったにないボクなんかは「そんだけ奢ってもらえるなんてすげ~な」と、シンプルに感心しちゃいます。
プロ奢ラレヤーである著者が、様々な人々と出会って食事する中で得た考え方や知見をまとめたもの、それが今回の参考文献です。
若干23歳の若者が、どのような思いで奢られ人生を生きているのか。
それを知ることができる、マニアにはたまらない超レアな一冊なわけです。
「奢られて生活しているなんて、今はいいけど将来大丈夫か?」なんて常識的な大人であればそんな風に思っちゃいますよね。
だけどVUCA(ブーカ)と言われるこの時代、将来大丈夫かなんてどうせ誰にもわかりませんよね。
あなたの今年の目標は何ですか?
年明けと言えば、新年の抱負を決める方も少なくないと思います。
「今年こそ、ダイエットする!」
「今年は、お酒を減らそう!そしてタバコも思い切ってやめよう!」
「今年こそはクリスマスまでに彼女をゲットしてやる!」
とか、そんな目標よくありそうですが、新年に立てた目標をきちんと達成できたことってどのくらいあるでしょうか?
ある調査では、新年の抱負や誓いのほとんどが1ヶ月以内にポシャっていることがわかっています。
それにはいくつか理由がありますが、今回はその中のひとつだと思われるものについてです。
目標についてもっとも大切な要素が抜け落ちた「からっぽの目標」を立てているかもしれません。
「からっぽの目標」とは一体どういうことでしょうか?
目標は無理やり「立てるもの」でなく自然と「立つもの」
プロ奢ラレヤーである著者は、この本の中でメディアの取材などでしつこいぐらいに目標を聞かれてうんざりすると書いています。
プロ奢ラレヤーやってる人に「目標はなんでしょう?」なんて聞く時点で、そんなやつ頭がどうかしてるんじゃないかと疑ってしまうボクですが、みなさんはどう思いますか?
「今年は1000万円分奢ってもらうのが目標です!(真顔)」なんてアホなことでも言わせたいんでしょうか。
そんな傲慢なインタビュアー、ボクならワンパン喰らわします(笑)
話がそれちゃいましたが、「とにかく目標だ、目標だ!」という現代の大人たちに対して、プロ奢ラレヤーさんはこう書いています。
ボクは目標というのは「ああしたい」「こうなりたい」という欲望をベースに、自然発生するものだと思っています。
つまり、「立てる」ものではなく、勝手に「立つ」ものじゃないですかね。
確かに!
と、思いませんか?
たとえば「目標は?」と聞かれて即座に何も浮かばないなら、「特にありません」が正しい答えということになります。
すぐに答えられるくらいパッと思い浮かぶ目標でないなら、ベースとなる欲求が入っていない可能性が高いわけですからね。
それなのにボクらは、「目標はありません」と答えるのがなんとなく恥ずかしいような情けないような気がしてしまいます。
結果、無理やりそれらしい目標をひねり出しちゃったりします。
はっきり言いますよ。
ひねり出した目標なんて、それこそクソみたいな目標です!
なぜなら、体裁のためにひねり出した目標には、肝心要な要素である「欲求・欲望」が入っていないからです。
だからそれを正当化しようとすると、どうしても「あと付け」で、ありもしない「欲求・欲望」を付け足すことになります。
「そりゃ、叶うわけないわけねえわ」って思いませんか?
つまるところ目標というのは「欲望」ベースで自然と「立つ」ものなわけで、決してムリに「立たせる」ものではないんですね。
だから無理やり立てた目標なら、達成できないのも当たり前だということになります。
そしてもし目標が達成できなかった場合は、もう一度その目標が「からっぽの目標」じゃなかったか考えてみるべきでしょう。
それでもしも「からっぽ」だと判断できたなら、もういちいち落胆する必要すらありません。
だって頑張れなくて当たり前だったわけだし、そもそも「本当にやりたいこと」ではなかったわけなんで別に叶わなくてもよかったってことじゃないですか。
そろそろ無理やり目標を立てるのはやめようよ
目標を立てることって、みんなわりと気づいてないですけどいいことばかりじゃないですよね?
というか、デメリットが結構でかい気がするんですがどうでしょうか?
ボクらは、小さな頃から
「夢はなに?」とか
「一年の目標は?」とか、大人たちに散々言わされて育てられました。
これ、どうなんですかね。
ここでひとつネガティブな可能性を考えてしまうのはボクだけでしょうか?
「ありもしない夢のせいで自己肯定感が下がってんじゃないか説」です。
順を追って説明します。
①夢や目標を無理やり立てる。→
②無理やり立てた目標や夢が当然のように叶わない。→
③「自分で立てた目標も達成できない。自分はダメなやつだ・・・」という思考。以下ループ。
これを何度も何度もループした結果、自己肯定感が下がって自信喪失・・・。
何も考えずにボクたち大人は子どもたちに夢とか目標とか聞いている気がします。
「あれ、意味あります?もうそろそろやめませんか、それ」っていうのが今回のボクからの提案です。
「幼い頃から卓球に取り組んでいる」とか、「虫に異常に興味がある」とかならまだしも、そういうのがなさそうな子たちにまで聞いちゃうのは、いったい何を知りたいんですかね。
だいたい目標や夢なんてなくたって、それなりにやりたいことをやれてたら人生は楽しめる気がしますけど、どうでしょうか。
少なくともボクは人生楽しめてますよ。大きな目標なんてなくても。
ということで、今回は「目標は、自然と立つもので無理やり立てない方がいい」というお話でした。
本日の学びは以上です。
読了いただきありがとうございます。ねこじたのヒロでした。
今回の参考文献はこちら。