人は最期になに思う?『後悔しない死の迎え方』

死の迎え方 読書

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今回は『後悔しない死の迎え方』という本を紹介します。

この本には「1000人の看取りに接した看護師が教える」というサブタイトルがついています。

著者の後閑(ごかん)愛実(めぐみ)さんは正看護師

さまざまな看取りの現場を経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるのか。

そんなことを考えるようになって、今では講演活動などをされている方です。

人生100年時代を生きなければならないと言われる現代、僕らは自分の人生をどう生きるべきなのでしょうか?

人生に迷っている、自分が何をしたいかわからない、どう生きたら幸せなゴールにたどり着けるのか。

そんな漠然とした不安は誰にでもあるものだと思います。

しかし、もし、その問いに答えがあるとしたら・・・?

この本の中に、その答えを導き出すヒントが眠っている。

そんな気がして僕はこの本を手に取りました。

果たして、後悔しない死の迎え方とは一体どんな生き方なのでしょうか?

命のあり方について今一度考えるきっかけの扉を開いてみましょう。

人間の死には4つの分類がある

人間は、電気のブレーカーが落ちるように、いっぺんに動かなくなって死ぬわけではありません。少しずつ、あるいは急激に、あちこちのスイッチが切れていくようなイメージです。そして、人間の死には4つの分類があるといいます。

「肉体的な死」
「精神的な死」
「文化的な死」
「社会的な死」

この4つです。

第1章の『幸せな死には「感謝」がある』で語られています。

「肉体的な死」は文字通りのいわゆる人間の死です。心臓が止まり、血液の循環のなくなった状態です。

2つ目の「精神的な死」とは、自分の意志が保たれているかどうかだったり、笑ったり悲しんだりといったような感情のなくなった状態を指します。

そして3つ目である「文化的な死」は、認知症などによって同じ言葉を繰り返すことが多くなったり、新たな文化に触れることのなくなった状態。これは人によってはかなり早い段階で迎えることになる方もいるでしょう。

最後、4つ目は「社会的な死」となります。

「肉体的な死」を迎えてもなお人々の心に残っている人、そんな人は「社会的な死」をまだまだ迎えていないと著者は言います。

つまり、「肉体的な死」を迎えても、それがイコール「社会的な死」ではないのです

それでは「社会的な死」とは一体何を指しているのでしょう?

そして「社会的な死」は果たしていつやってくるのでしょうか?

 

ここで著者は漫画『ワンピース』のセリフを引用して「社会的な死」が訪れるのは

『人に忘れられた時』

だと書いています。

つまり、いつまでも人の記憶に残り続ける人

そんな人は「肉体的な死」を迎えても、なお生き続けているかのように誰かに影響を与え続けるでしょう。

逆にすぐに忘れられてしまう人は「肉体的な死」と同時に「社会的な死」を迎えることになってしまいます。

著者は言います。

肉体的な「生」ばかりではなく、精神的、文化的、社会的な「生」の延命ももっと考えた方がいいのではないかと。

この4つの「生」

本人の生き方によって最も大きな違いが出るのは一体どれでしょうか?

 

実は最も大きな違いが出るのが、この「社会的な生」ではないかと僕は思うのです。

死してなおも、いまだ多くの人々に影響を与え続ける歴史上の偉人たち。

亡くなっても確実にその影を残す実の父や母。

バイク事故で死んでしまった友人や天災により失われた名も知らぬ人たち。

忘れたくても忘れられない人々が僕たちの心の中にはたくさんいます。

 

最期に思い出すのは「いちばん愛してくれた人」

安らかな最期をくれるのは、「愛」です。

無上に愛された記憶と愛した記憶。それは「人の最期」に、癒やしと救いと安心を与えてくれます。

愛は、医療では決して埋められない孤独や死への恐怖をやわらげ、幸せな境地へと導いてくれるのです。

97歳のタカコさん(仮名)のお話です。

タカコさんは何かあると、目の前にお母さんがいるかのように「お母さん、お母さん」とはっきり言葉にして呼びかけていたそうです。

ある時、同室の患者さんがタカコさんに言ったそうです。

「あんたのお母さんなんてとうの昔に亡くなっとるわ!」と。

それでもタカコさんは臆せず、「お母さん、お母さん」と言い続けたそうです。

きっと人は一番愛してくれたという実感がある人のことを、最期まで大切にしたいと思うのだと著者は言っています。

あなたにとってそんな人は誰でしょうか?

もし人生に疲れたときは少しの時間だけ、考えてみてもいいのかもしれません。

きっと、その相手のことをただ考えるだけで人は何倍も強くなれるのだと思います。

後悔しない生き方をするには

何人もの死に立ち会ってきましたが、亡くなるときに「もっとモノが欲しかった」「何かを買っておけばよかった」と後悔している人に、私は会ったことがありません。

多くの人は亡くなるとき、「自分に生きた意味があったと知りたい」と思っているように感じます。

より具体的に言うと、こうなります。

自分はどんな人生を生きたのか。
自分が何をして、どんな影響を世の中や周りの人に与えたか。
家族や周りの人をどれくらい幸せにできたか。
自分のやりたいことに挑戦できたか。

一度しかないこの人生において、誰しも悔いのない一生を送りたいものです。

人間には、承認欲求というものがあります。

「誰かに認めてもらいたい」という根源的な欲求です。

著者は最もこの欲求が強いのが、生まれたときと死ぬときかもしれないと書いています。

そして、他人に依存した承認より自己による承認が大切であるとも言っています。

なぜでしょうか?

他人から褒められたり、「あの人はすごい」と認めてもらえると誰でも嬉しいものです。

しかし、それはあくまで他人が生み出した価値です。

その評価は非常に不安定であり、かつその承認を受け続けるためには望まないこともしなければならない状況も少なくありません。

一度失敗しただけで今まで受けられていた承認が消し飛ぶことも往々にして考えられるし、そもそも承認してくれていた相手自体がいつまで存在してくれているかすらわかりません。

自己承認を得ることができればそんな不安定な状態から開放されることになり、安定したメンタルを手にすることができるのです。

それでは、自己による承認を得るにはどうしたらいいのでしょうか?

これはかの有名な超ベストセラー「嫌われる勇気」の中でも言われていることなのでご存知の方も多いと思います。

それは・・・

貢献感です。

「自分は誰かの役に立っている」

こう実感できると、人は自らの存在を受け入れることができます。

そして、そのために僕らは本来働いているのではないでしょうか?

労働がお金のためだけであれば「ありがとう」と言われたとき、僕らは嬉しくなるでしょうか?

きっと「そんな言葉より金をくれ」と思うことでしょう。

感謝の言葉によって、僕らは自分の存在価値を実感できるからこそ嬉しくなる。

そして、ここで大切なのは貢献感には他人の感謝の言葉は必ずしも必要ではないと言うことです。

自分で感じることができたらいいわけです。

「誰かの役に立っている」と。

思い出してください。

子どもの頃、母親の役に立って嬉しかった記憶はありませんか?

あれこそ貢献感であり、自分がこの世界にいてもいいんだと実感できた瞬間なのです。

まとめ

感謝

今回は「後悔しない死の迎え方」の紹介でした。

人は死について考えると人生観が変わると僕は思います。

自分の人生においてどんな風に生きていくか。

そして、最期の瞬間をどんな風に迎えたいか。

この本にはそのヒントが散りばめられていました。

みなさんはどう生きますか?そして、どんな死を迎えたいですか?

ちなみに僕には30歳になった誕生日に決めた、ずっと大事にしているひとつの人生観があります。

僕といっしょになってくれた相手に

自分が最期を迎える瞬間、

心からの『ありがとう』を言わせる

そんな風に生きれたら、僕は自分の人生に悔いはないと信じています。

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