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人は最期になに思う?『後悔しない死の迎え方』

死の迎え方 読書

どーも!

ねこじた歴38年、薬剤師で読書好きのヒロといいます。

よろしくおねがいします。

 

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今回は『後悔しない死の迎え方』という本の紹介です。

この本には「1000人の看取りに接した看護師が教える」というサブタイトルがついています。

著者の後閑(ごかん)愛実(めぐみ)さんは正看護師の方です。

さまざまな看取りの現場を経験する中で、どうすれば人は幸せな最期を迎えられるのか。

そんなことを考えるようになり、今では講演活動などをされているそうです。

人生100年時代を生きることになると言われる現代、僕らは自分の人生をどう生きるべきなのでしょう?

自分が何をしたいかいまだにわからなかったり、どう生きたら幸せなゴールにたどり着けるのかわからないまま日々の仕事に時間を奪われていて本当にいいのだろうか?

そんな漠然とした不安は、誰にでもあるものだと思います。

しかし、もし、その問いに答えがあるとしたら・・・

 

「この本の中に、その答えを導き出すヒントが眠っている」

そんな気がして僕はこの本を手に取りました。

果たして、後悔しない死の迎え方とは一体どんな生き方なのでしょうか?

命のあり方について今一度考えるきっかけの扉を開いてみたいと思います。

1000人の看取りに接した看護師が教える 後悔しない死の迎え方

人間の死には4つの分類がある

第1章の『幸せな死には「感謝」がある』の中で下記のように書かれています。

人間は、電気のブレーカーが落ちるように、いっぺんに動かなくなって死ぬわけではありません。

少しずつ、あるいは急激に、あちこちのスイッチが切れていくようなイメージです。

そして、人間の死には4つの分類があるといいます。

「肉体的な死」
「精神的な死」
「文化的な死」
「社会的な死」

この4つです。

まず1つ目、「肉体的な死」というのは文字通りの人間の死のことです。

心臓が止まり、血液の循環のなくなった状態をいっています。

一般に医学的な意味での死に該当するものだと思います。

次の「精神的な死」ですが、自分の意志が保たれているかどうかだったり、笑ったり悲しんだりといったような感情を失った状態を指すそうです。

うつ状態などで感情のコントロールが難しいような場合も、「精神的な死」に近づいていると言えるかもしれません。

そして3つ目である「文化的な死」

これは認知症などによって同じ言葉を繰り返すことが多くなったり、新たな文化に触れることのなくなった状態。

最後にあるのが、「社会的な死」です。

「肉体的な死」を迎えてもなお人々の心に残っている人、そんな人は「社会的な死」をまだまだ迎えていないと著者はいいます。

それでは「社会的な死」とは一体何を指すのでしょうか。

そして「社会的な死」は果たしていつやってくるのでしょうか?

 

著者は大人気漫画『ワンピース』のセリフからこう言っています。

「社会的な死」が訪れるのは、

『人に忘れられた時』

だと。

つまり、いつまでも人の記憶に残り続ける人、

そんな人は「肉体的な死」を迎えても、なお生き続けているかのように誰かに影響を与え続けられる。

しかし逆に、すぐに忘れられてしまう人は「肉体的な死」と同時に「社会的な死」を迎えることになってしまいます。

著者はここで読者に問います。

肉体的な「生」ばかりではなく、精神的、文化的、社会的な「生」の延命ももっと考えた方がいいのではないかと。

 

この4つの「生」の概念について、ボクたちは今一度考えるべきではないでしょうか。

最期に思い出すのは「いちばん愛してくれた人」

安らかな最期をくれるのは、「愛」です。

無上に愛された記憶と愛した記憶。それは「人の最期」に、癒やしと救いと安心を与えてくれます。

愛は、医療では決して埋められない孤独や死への恐怖をやわらげ、幸せな境地へと導いてくれるのです。

97歳のタカコさん(仮名)のお話です。

タカコさんは何かあると、目の前にお母さんがいるかのように「お母さん、お母さん」とはっきり言葉にして呼びかけていたそうです。

ある時、同室の患者さんがタカコさんに言ったそうです。

「あんたのお母さんなんてとうの昔に亡くなっとるわ!」と。

それでもタカコさんは臆せず、「お母さん、お母さん」と言い続けたそうです。

きっと人は、一番愛してくれたという実感がある人のことを、最期まで大切にしたいと思うようになっています。

 

あなたにとってそんな人は誰でしょう?

 

もし人生に疲れたときは少しの時間だけ、考えてみてもいいのかもしれません。

きっと、その相手のことを考えるだけで、ボクらは何倍も強くなれる気がします。

後悔しない生き方をするには

何人もの死に立ち会ってきましたが、亡くなるときに「もっとモノが欲しかった」「何かを買っておけばよかった」と後悔している人に、私は会ったことがありません。

多くの人は亡くなるとき、「自分に生きた意味があったと知りたい」と思っているように感じます。

より具体的に言うと、こうなります。

自分はどんな人生を生きたのか。
自分が何をして、どんな影響を世の中や周りの人に与えたか。
家族や周りの人をどれくらい幸せにできたか。
自分のやりたいことに挑戦できたか。

一度しかないこの人生において、誰しも悔いのない一生を送りたいものです。

人間には、承認欲求というものがあります。

「誰かに認めてもらいたい」という根源的な欲求です。

著者は最もこの欲求が強いのが、生まれたときと死ぬときかもしれないと書いています。

そして、他人に依存した承認より自己による承認が大切であるとも言っています。

 

なぜでしょうか?

 

他人から褒められたり、「あの人はすごい」と認めてもらえると誰でも嬉しいものです。

しかし、それはあくまで他人が与えてくれた価値です。

その評価は非常に不安定であり、かつその承認を受け続けるためには望まないことを強要される状況も少なくないでしょう。

一度失敗しただけで今まで受けられていた承認が消し飛ぶことも往々にして考えられるし、そもそも承認してくれていた相手自体がいつまで存在してくれているかすらわからないわけです。

自己での承認を得ることができれば、そんな不安定な状態から開放されることになり、安定したメンタルを手にすることができるかもしれません。

だからこそ、自己承認の方が大切だというわけです。

 

それでは、自己による承認を得るには一体どうしたらいいのでしょうか?

これはかの有名な超ベストセラー「嫌われる勇気」の中でも語られています。

それは・・・

貢献感です。

 

「自分は誰かの役に立っている」

こう実感できると、人は自らの存在を受け入れることができます。

そして、そのために僕らは本来働いているのではないでしょうか?

労働がお金のためだけであれば「ありがとう」と言われたとき、僕らは嬉しくなるでしょうか?

きっと「そんな言葉より金をくれ」と思うことでしょう。

感謝の言葉によって、僕らは自分の存在価値を実感できるからこそ嬉しくなる。

そして、ここで大切なのは貢献感には他人の感謝の言葉は必ずしも必要ではないと言うことです。

自分で感じることができたらいいのです。

「誰かの役に立っている」と。

つまり、勘違いでもかまわないのです。

 

思い出してください。

子どもの頃、母親の役に立って嬉しかった記憶はありませんか?

あれこそが貢献感であり、自分がこの世界にいてもいいんだと自身で実感できた瞬間なのです。

まとめ

感謝

今回は「後悔しない死の迎え方」を紹介させていただきました。

人は死について考えると人生観が変わると僕は思います。

自分の人生においてどんな風に生きていくか。

そして、最期の瞬間をどんな風に迎えたいか。

この本にはそのヒントが散りばめられていました。

みなさんはどう生きますか?

そして、どんな死を迎えたいですか?

ちなみに僕には30歳になった誕生日に決めた、ずっと大事にしているひとつの人生観があります。

「僕といっしょになってくれたパートナーに

自分が最期を迎える瞬間、

心からの『ありがとう』を言わせたい!」

そんな風に生きれたら、ボクはきっと自分の人生に大きな悔いはなく死を迎えられると信じています。

読了、ありがとうございました。

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